埼玉大学学報 第429号、平成12年1月

 

協定大学等紹介(19)

大学間協力協定校視察記

「ポーランド日本情報工科大学」

工学部助教授 井門俊治

  1. 大学間協力協定

ポーランド日本情報工科大学(以下、「ポ日大」と略する)は、1994年10月にワルシャワ市に設立されたポーランド共和国の新制の大学である。設立の経緯、ポ日大及びポーランドの事情については、埼玉大学学報第414号(平成10年8・9月)を参照されたい。大学の設立の背景には、1989年の民主化後の教育改革(高等教育の普及)があり、ポーランド、日本両国政府の協力による支援のもとに、強化・育成が行われている。

本学としても、設立当初より、ポ日大の教育プログラムの支援、コンピュータシステムの設計、などに関して、支援の体制を取っていた。特に1996年3月からのJICAを通じての技術協力(文部省案件)において、既に16名の教職員(工学部15名、総合情報処理センター1名)が派遣され、業務(長期専門家、短期専門家、調査団員)に従事してきた。また、今年度末までに合計10名のポ日大の教員がJICAの研修員制度により、埼玉大学に滞在している。期間は、3週間から最長で7ヶ月であった。

ポ日大は、現地の大使館の知的技術協力の重要な案件の1つであり、かねてより、JICAを通じてのプロジェクト技術協力(1996年3月−2001年3月)の後の計画について考慮されていた。1999年度においては、新たな課題として、

    1. 埼玉大学との大学間協力協定
    2. JICA支援による第3国研修

が、立案され、(1)については、外務省の担当部局より埼玉大学に要請があった。

この要請に応じ、かつJICAを通じての技術協力、及び並行して進められている学術協力を強化する目的で、1999年6月29日に、ポ日大と埼玉大学の間で、大学間協力協定が締結された。本学としては、6番目の大学間協力協定であった。この件は、7月1日に行われた小渕・ブゼク両国首相の会談において、両国間の協力の1つとして、報告が行われた。

  1. 兵藤学長・野平工学部長のポーランド訪問

今後の大学間協力協定を実質的に推進するために、1999年の秋、10月7日(木)−10月11日(月)の間、兵藤学長、野平工学部長、及び事務官3名と筆者は、ポーランドを訪問した。主たる訪問先は、ポ日大と駐ポーランド日本大使館であった。学長、工学部長の直々の来訪は、ポ日大およびポーランドへの知的技術協力の埼玉大学の関わりの深さを示すものして、ポ日大、そして、佐藤俊一大使自らの熱烈かつ丁重な歓迎を受けた。

我々一行6名は、7日(木)成田発、同日午後10時過ぎワルシャワ空港に到着した。夜更けにもかかわらず、ポ日大幹部(ノバツキ学長、コシンスキ、ドベイコ両副学長、コトフスキ氏、ドラビク氏の2名の学長補佐)の全員が空港に出迎えてくれた。貸し切りのバスにて、市内中心地のポーランド科学アカデミー数学研究所の共同研究員宿舎にチェックインした後、近くのホテルのパブにてまずは自己紹介をかねて歓談した。ポ日大幹部5名は全員日本訪問の経験があり、新任のコシンスキ副学長以外の4名は、JICAの研修や学術協力などで埼玉大学にも滞在した経験があった。このため、初対面同士という参加者が多い中でも、アットホームな雰囲気での交歓の語らいが夜遅くまで続いた。

翌日、8日(金)は、日本大使館への表敬訪問と大使公邸での夕食会が予定されていたが、朝方の短い時間を利用して、ポ日大の教員の案内で、市内の視察を行った。ワルシャワ市は第2次大戦中において、最も大きい破壊を受けたヨーロッパの都市の一つである。ワルシャワ蜂起(1994年8月―10月)の後には徹底的な破壊(90%以上といわれる)が行われた。この時の様子については、アンジェイ・ワイダ監督の映画「地下水道」に描かれている。また市内にも地下に逃れる市民の記念像が残されている。戦後の再建、歴史的な事蹟について、文化科学宮殿、旧市街などを視察した(写真1)。ワルシャワ市内には、大戦中の破壊のため戦前の施設が極めて少なく、法律のより保存が義務づけられている。ちなみに、ポ日大の周囲のレンガ作りの壁も、戦前から残された貴重な物であるため、改造が制限されており、現在の正門は幅1メートル程度に押さえられている(新校舎の建設に伴い、別の場所に正門を新設の予定)。

また、旧市街の北200メートル程のところに残されている「マリー・キューリー夫人(旧姓スクウォドフスカ)」の生家(現在は博物館)も視察した(写真2)。2つのノーベル賞(物理賞、化学賞)の賞状のコピーや当時の実験器具の展示、そして原子科学の研究の歩みの展示などがあり、量子化学を専攻する野平工学部長は深い感銘を受けていたようであった。

11時より、日本大使館を訪問、佐藤俊一大使への表敬訪問と今後の大学間協力について、相談を行った(写真3)。

昼食、及び午後のワルシャワ大学副学長・マデイ教授への表敬訪問を終えた後、午後7時からは、大使公邸での晩餐会に我々6名は招待された。ポ日大の育ての親とも言える佐藤大使の厚遇に恐縮するところ大であったが、一方、若いときは音楽(ジャズ)への道も考えたという大使、およびカーレーサでもあったという大使夫人のお二人の人間的な人柄と大宮の地での思い出話などに、歓談がはずんだ一刻であった。大使ご夫妻と兵藤学長、野平工学部長の暖かな人柄と博学が調和した忘れ難い夕食会であった。

3.ポーランド日本情報工科大学との今後の学術協力

3日目、10月9日(土)には、ポ日大の幹部および各専攻課程の主任教授との対談と学内の教育・研究設備の視察を行った(写真4,5)。1994年の設立当初と比べると、既に学部(3年制)にはこの10月より6期生が入学しており、教室、実習室、卒業研究などを行う研究設備も整ってきており、目覚しい発展をしていることが理解できた。また、1年前の1998年10月よりは、修士課程も設置されており、学部3年、修士2年の計5年制の教育体制が完備し、旧制の大学(ワルシャワ大学、ワルシャワ工科大学など)と比肩し得るところまで来たことが実感できた。

また、JICAプロジェクトを通じての機材(コンピュータシステム、ネットワーク)の設計と導入・設置、それらを用いた教育プログラムの充実、等における埼玉大学の教官の寄与についても、兵藤学長、野平工学部長は、認識を深めていただけ、ポ日大での専門家(長期、短期)の経験者の筆者としては、ご案内の労が報われる思いであった。両大学の教官による相互理解は今後の学術協力の礎となるものと期待される。

夕方よりは、ポ日大主催により、ポーランド科学アカデミーの来賓館での歓迎会が行われた。佐藤大使も招待されており、滞在中の日本人専門家も参加した。会食に先立って、ピアノとチェロ演奏が行われ、音楽の国ポーランドならではの歓迎振りであった(写真6)。

最終日となった10日(日)は、ポーランドの国民が誇りとしているショパンの生家を、ワルシャワの郊外(西方50km)のジェラゾヴァ・ヴォラ村に訪ねた。ここでも、ピアノコンサート(曲目は勿論ショパン、演奏者は屋内、聴衆は庭)があり、多くの観光客と共にひとときの音楽鑑賞を行った。

  1. まとめ

兵藤学長はじめ、参加の教職員の一致した感想は、ポ日大側の厚情であった。これは、親日家の多い国柄、設立以来の日本側(日本大使館、外務省・JICA、埼玉大学をはじめとする国立大学)からの支援にたいするポ日大からの感謝の表われであったと思われる。また、フェイス・ツー・フェイスで得られた個人的な知遇によるところも大であったと思われ、今回の埼玉大学からの視察団の目的は達成された、と考えられる。

今後の両大学の実質的な学術交流の端緒ともなり、また、コペルニクス、ショパン、マリー・スクウォドフスカ・キューリーを生んだ国の「黄金の秋」を味わうこともできた、短いが実りの多い視察旅行であった。

後日談となるが、視察旅行の約1ヶ月後、11月26日(金)の埼玉大学開学50周年記念式典・祝賀会には、ポ日大のノバツキ学長が、はるばる単身来日し、祝辞を添えてくださった。より一層の大学間協力の進展のための弾みとなったと思われる。

 

写真説明

写真1:ワルシャワ市旧市街にて。左より、兵藤学長、野平工学部長、筆者(井門)、海老根経理課長。



写真2:マリー・スクウォドフスカ・キューリー夫人の生家にて



写真3:兵藤学長と佐藤俊一駐ポーランド日本大使



写真4:ポ日大の教育設備の視察。右端より、ノバツキ学長、野平学部長、コシンスキ副学長、兵藤学長。



写真5:ポ日大ロボット研究室視察。ポルコフスキ教授(右より3人目)による説明。



写真6:ポ日大主催の歓迎会における佐藤大使の挨拶。右側が、兵藤、ノバツキ両学長。